2026.02.25 · JOURNAL

はじまりは静かに、終わりは透明に

はじまりは静かに、終わりは透明に

制作を続けていると、「始まり」と「終わり」という言葉について、何度も考えることになります。

始まりは祝福され、終わりはどこか寂しさを帯びる。けれど、絵を描くという行為のなかでは、その二つはそれほど単純な関係ではありません。今日は、私なりの「始まりと終わり」について、静かに綴ってみたいと思います。

始まりは衝動ではなく、予感かもしれない

絵を描き始めるとき、強い決意があるわけではありません。

むしろ、まだ言葉にならない小さな予感のようなものが、どこかに沈んでいる。それが、ある日ふと浮かび上がる。その瞬間、私はキャンバスの前に立ちます。

真っ白な画面は、可能性に満ちていると言われます。でも実際に向き合ってみると、それは自由というよりも、少しだけ緊張を含んだ静けさです。

クラシック音楽で言えば、まだ旋律が始まる前の、指揮者が腕を上げたあとの一瞬の空気。音は鳴っていないのに、すでに何かが始まっている。その感覚に近いかもしれません。

始まりとは、動き出すことそのものではなく、動き出す前の気配なのだと思います。

終わりは完成ではなく、手放すこと

では、終わりとは何でしょうか。

絵には「完成」という言葉がつきまといます。しかし、私はいまだに完成という感覚をはっきりと掴めたことがありません。

もう少し色を重ねられるのではないか。もう一度削れば、違う表情が生まれるのではないか。その可能性は、いつも残っています。

それでも、どこかで筆を置かなければならない。その瞬間は、充実というよりも、静かな諦めに近いかもしれません。

けれどその諦めは、投げ出すことではありません。十分に向き合ったという感覚の上に立つ、穏やかな手放しです。

ジャズの即興演奏がふと終わる瞬間のように、誰かが合図を出すわけではないのに、自然に収束していく。終わりとは、強く閉じることではなく、透明になっていくことなのだと思います。

始まりと終わりは、線ではなく円

以前は、始まりから終わりへと一直線に進むものだと考えていました。

けれど制作を重ねるうちに、それは線ではなく、むしろ円に近いのではないかと思うようになりました。

一枚の絵を終えると、そこには小さな余韻が残ります。その余韻が、次の予感へと変わっていく。終わりの中に、すでに次の始まりが含まれているのです。

文学でも哲学でも、結論はしばしば新たな問いを生みます。問いがあるから、また考え始める。その繰り返しのなかで、私たちは少しずつ深くなっていくのかもしれません。

だから私は、終わりを恐れないようにしています。終わらせることは、閉じることではなく、循環の中に戻すことだからです。

あなたにとっての始まりと終わり

制作に限らず、日常のなかにも小さな始まりと終わりがあると思います。

新しい挑戦を始めるときのわずかな不安。何かをやめるときの静かな決意。そのどちらも、同じ時間の流れの中にあります。

もし今、何かを始めようとしているなら、その前の「気配」を大切にしてみてください。

もし何かを終えようとしているなら、それを失敗や後退と考えず、ひとつの循環として受け止めてみてください。

始まりは静かに訪れます。そして終わりもまた、声を上げずにやってきます。

そのどちらにも、同じだけの深さがある。私はそう信じて、今日もキャンバスの前に立っています。