矛盾とともに描く
「矛盾」という言葉を、私はどこかで誤解していました。整っていないこと、辻褄が合わないこと、未熟であること。そのような否定的な響きを、無意識にまとわせていたのだと思います。しかし制作を続けるうちに、矛盾は排除すべきものではなく、むしろ創作の核心にあるのではないかと感じるようになりました。
抽象画を描いていると、頭の中には常に複数の声が存在します。大胆に壊せ、と言う声。静かに整えよ、と囁く声。もっと色を重ねろ、と煽る衝動。いや、ここで止めよ、と制する理性。どれも本心であり、どれも私です。その相反する声が同時に鳴っている状態。それこそが、私にとっての制作の現場なのです。
相反するもののあいだで
例えば、強い色を置いた直後に、私はその強さを怖れることがあります。画面が壊れてしまうのではないか、と。しかし同時に、その壊れそうな緊張感に惹かれてもいる。安定と不安定。秩序と混沌。私はいつも、そのあいだに立っています。
若い頃は、どちらかに決着をつけようとしていました。完成度を高めるためには、曖昧さを排除しなければならない、と考えていたのです。けれど今は、むしろ両方が同時に存在する状態を残したいと思うようになりました。きれいにまとめすぎない。説明しきらない。矛盾を解消しないまま、画面に置いておく。
音楽を聴いているときも、似た感覚があります。例えば、J.S.バッハのミサ曲ロ短調のような荘厳さの中にも、どこか人間的な揺らぎが潜んでいる。あるいは、マイルス・デイヴィスのトランペットの音色には、冷たさと熱が同居している。その相反する要素が、音楽を深くしているのだと思います。単純に明るいだけでも、暗いだけでもない。だからこそ、心に残る。
絵も同じなのかもしれません。強さだけでは単調になるし、静けさだけでは眠ってしまう。矛盾するものがぶつかり合い、緊張をはらんだまま均衡している状態。私はその危うい場所に、できるだけ長くとどまりたいのです。
解決しないという選択
矛盾は、本来は解決されるべきものだと考えられがちです。哲学も文学も、矛盾に向き合い、それをどう乗り越えるかを問い続けてきました。けれど制作においては、必ずしも解決が目的ではありません。むしろ、解決しないことを引き受ける勇気のほうが大切なときがあります。
私はキャンバスの前で、よく立ち止まります。この色は正しいのか。この線は必要なのか。削るべきか、残すべきか。その問いに明確な答えはありません。ただ、どちらを選んでも何かを失うという事実だけがある。選択とは、常に矛盾を抱えることなのだと、制作は教えてくれます。
人もまた、矛盾した存在です。理想を語りながら、現実に妥協する。孤独を求めながら、誰かに理解されたいと願う。静かな時間を愛しつつ、刺激を欲する。私自身も例外ではありません。だからこそ、矛盾を含んだ画面に、どこか安堵を覚えるのかもしれません。それは、人間らしさの証のように思えるのです。
抽象画は、具体的な物語を持ちません。けれど、見る人の内側にある矛盾を、そっと映し出す鏡にはなれるのではないか。そう信じています。完成された答えを示すのではなく、「揺れていてもいい」と伝える存在でありたい。
もしあなたが、日々の中で矛盾に戸惑っているのなら、それを無理に整えようとしなくてもいいのかもしれません。相反する思いが同時にあることは、弱さではなく、豊かさの証でもあります。私は今日も、キャンバスの上でそれを確かめるように、色を置いていきます。
矛盾を抱えたまま、描く。そこにしか生まれない緊張と静けさを、これからも大切にしていきたいと思っています。