音楽と抽象絵画 ― 聴こえない旋律を描くということ
私がキャンバスの前に立つとき、そこにはいつも音楽があります。静かな朝であればバッハ、夜の深い時間であればビル・エヴァンス。音楽は私にとって、単なるBGMではありません。それは、色を選ぶための呼吸であり、筆を置くタイミングを教えてくれる見えない指揮者のような存在です。
抽象画を描いていると、「何を表現しているのですか?」と問われることがあります。私はそのたびに、うまく言葉にできないまま、少しだけ微笑みます。なぜなら、私にとって絵は“説明するもの”ではなく、“聴くもの”に近いからです。音楽を聴いて涙が出るとき、そこに明確な物語がなくても、私たちは確かに何かを受け取っています。抽象画もまた、そのような体験であってほしいと思っています。
旋律ではなく、余白を描く
例えば、バッハのゴルトベルク変奏曲を聴くとき、私は旋律そのものよりも、音と音のあいだに漂う静けさに耳を澄ませます。規則正しく展開する構造のなかに、ふと現れる揺らぎ。そのわずかな陰影が、音楽に奥行きを与えています。
抽象絵画においても同じです。色彩は旋律であり、構図は和声。しかし、私が本当に描きたいのは、そのあいだにある“余白”です。塗り重ねた絵の具の下にわずかに残る下地の痕跡や、あえて残した空白。それは、音楽でいえば休符のようなもの。休符があるからこそ、音は生きるのです。
キャンバスに向かうとき、私はまずリズムを探します。筆を置く速度、絵の具を拭き取る強さ、身体の重心の移動。それらはすべて、目に見えない拍子に導かれています。描いているというより、身体が音に反応して動いている感覚に近いのかもしれません。
即興という勇気
夜、ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビイを流しながら描くことがあります。彼のピアノは、どこかためらいながら、それでいて確信に満ちています。音を置く前の一瞬の静寂。あの“間”こそが、私の制作にとって大切な示唆を与えてくれます。
抽象画には、設計図がありません。もちろん、構想はあります。しかし最終的には、偶然と対話しながら進むしかない。色がにじみ、思いがけない線が生まれる。その瞬間を受け入れる勇気が必要です。
音楽の即興演奏と同じように、私はキャンバスの上で即興をしています。計算しすぎると、絵は硬くなる。かといって、無秩序に委ねすぎると散漫になる。そのあいだの微妙なバランスを探ることが、制作の醍醐味です。
完成した絵を眺めるとき、私はそこに“音”を探します。低く響くベースのような深い色。かすかに揺れるハイハットのような白い点。鑑賞者がそれぞれの旋律を心の中で聴いてくれたなら、それ以上の説明は必要ないのだと思います。
聴こえない音を、色にする
音楽は時間の芸術であり、絵画は空間の芸術だと言われます。しかし私は、その境界は思うほど明確ではないと感じています。音楽を聴いていると、色が浮かぶことがあります。深い青、濁った金、あるいは淡い灰色。逆に、ある色彩の組み合わせを見ていると、特定の和音が頭の中で鳴りはじめることもあります。
私の制作は、その往復運動のなかにあります。音を色に翻訳し、色を再び音へと解き放つ。抽象画とは、聴こえない旋律を可視化する試みなのかもしれません。
今日もまた、静かに音楽をかけ、キャンバスの前に立ちます。そこに描かれるものが何であるかは、私にも分かりません。ただひとつ確かなのは、音が消えたあとも、どこかに余韻が残るような絵を描きたいということ。その余韻こそが、私にとっての“風”なのだと思います。